2014年03月04日

[映画]「悪の教典」

三池崇史。日本。2012年。
公式サイト:http://mv.avex.jp/aku/sp/movie/

同名ミステリー小説の映画化。
一見いい先生、だが実はサイコパスという教師が主人公。

CMやトレーラーで話の肝はほぼ語られているけれども、
実際に映像で見させられても面白さが損なわれないというのはすごい。
脇役の役割配置もよかったし、前半と後半の対比もよかった。
前半は積み上げていく感じ、後半は積み上げたものを一気に崩す感じ。

殺人の描写が多いけれども、
それほどグロテスクな描かれ方ではない(個人の感想です)。
なので、スプラッターものが苦手な自分でも問題なかった。

伏線の張り方はかなりわかりやすかったので、
謎解きとか伏線解読の楽しみはそれほど大きくないけれども、
全体の構成や登場人物の役割配置がよかったので
トータルで見るとそれでもかなり面白い。

最後の「To Be Continued」はすごく気になった。
ここからどう続けるのだろうか、と。

あと、二階堂ふみのヒロイン力がすげぇ。

投稿者 むすてぃー : 21:50 | トラックバック

2014年02月28日

[映画]「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ」

錦織敦史。日本。2014年。
公式サイト:http://www.idolmaster-anime.jp/

アイマスの劇場版。
アニマスの延長と言えばそうなのだけど、
起承転結がはっきりしていて楽しめた。

今回の劇場版は、
物語の内容的にかなり春香を全面に出す形になっているけれども、
他のキャラの魅力も削がれない程度にうまく配置・描写されていたと思う。

アイドル研修生が入って、既存のメンバーに後輩ができるという形になると
先輩−後輩という人間関係の独特さが全面に出てくるので、
多少なりともスポ根的な描かれ方になってしまうのは否めないのだけど、
あんまりギスギスしすぎないように描かれていたので個人的には安心だった。

個性と、集団を維持するために団結して助け合うこと。
この2つは、バランスをとるのが難しいけれども、
彼女たち(特に春香)は自分なりにコミュニケーションをとっていて、
ややぎこちなくとも、どうにかやっていこうとしていた。
その前向きさに好感が持てる。

投稿者 むすてぃー : 21:28 | トラックバック

2014年01月29日

[映画]「少女は自転車にのって」

ハイファ・アル=マンスール。サウジアラビア、ドイツ合作。2012年。
公式サイト:http://shoujo-jitensha.com/(※音声注意)

保守的な傾向が強く、それよって女性の行動が制限されるサウジアラビアでは、
女性は自動車に乗れず、ひとりでの外出が大変な地域であるという。
そんな国で、10歳の少女ワジダが、
男の子の友達アブドゥラと自転車競争をするために奮闘する。

映画自体は、
サウジアラビアの基本情報を知らずに見ても楽しめるようになっている。
もちろん、サウジ社会やイスラームについてのある程度の知識を持った上ならば
この映画の中から、よりいろいろな発見ができるかもしれない。

要は、主人公が自転車を手に入れるまでのお話であり、
内容はとてもシンプルである。
だが、社会的な制限がある中で(映画の撮影にもさまざまな制限があったという)
こうした内容の映画を撮るというのは、かなり挑戦的なことなのだろうと思う。

自分の信念を貫き通そうとするワジダと
そんなワジダをなんだかんだで気にかけ続けるアブドゥラとのやり取りや、
保守的な学校とワジダとの関係の描写が面白い。

また、ワジダと、彼女の母との関係に注目しながら見るのもいい。
ワジダの言動に影響を受けて、
また、夫の言動に影響を受けて(と言うよりはショックを受けて)、
ワジダの母の考えが変化(成長?)する点が丁寧に描かれていると思う。

投稿者 むすてぃー : 23:16 | トラックバック

2014年01月26日

[映画]「ほとりの朔子」

深田晃司。日本。2014年。
公式サイト:http://sakukofilm.com/

8月下旬から9月頭までの、
高校生までの学生の夏休みの終わりに当たる期間に、
浪人生の朔子のまわりで起きた出来事を
淡々と、しかしみずみずしく描いている。

感想を一言でいえば、ほどよくのんびりしていて、個人的には好きな映画だった。

映画の中では、著しく大きな事件は起こらない。
その代わりに、小さな「事件」(単なる「出来事」かもしれない)は頻発する。

夏休みの終わりに叔母の家へ行くという経験は、
普段実家で生活しているのであれば、非日常的な経験だろう。
しかし、そこでは、(朔子に直接関わるような)取り立てて大きな事件は起きず
(起こる「事件」の大きさはむしろ、孝史に関わるものが大きい)
淡々と流れる「日常」のようなものが存在している。

二階堂ふみが演じる朔子がまぶしいくらいにかわいいのはもちろんだけど、
インドネシアを専門とする地域研究者で知的な雰囲気を備える海希江、
「可哀想な福島」という形で話をすることを周りから期待されて困惑する孝史、
主観と客観について語る西田先生、一見ダメ男なのにどこか憎めない兎吉、
さばさばした大学生の知佳、……などなど、他の登場人物も魅力的だった。

特に海希江は、
「日本人なのにどうして海外のことを研究しているの?」という
素朴な疑問に対して真摯に答えており、
その姿が個人的にとてもかっこいいなぁと思った。

主人公は朔子だけれども、彼女は、
朔子自身が問題の奥にまで入り込んでいってズバズバと解決していくような
物語の中心に立って活躍する人物としてではなく、
あくまでも「自分の周りの人物の関係を見つめる朔子」として描かれている。
感情は、台詞にははっきりと出ないこともあるが、表情の微細な変化に表れる。
また、彼女の健康的な肢体からは、
健康的であるがゆえにほのかなエロスが感じられる。
個人的にはそういった点が印象的であった。

あと、これは映画の内容とは関係ないことなのだけど、
映画の言語は日本語だったけれども、英語の字幕がついていた。
英語の字幕は結構意訳されていた。
日本語の文意をそのまま英語に置き換えても理解してもらえないのかも、という
翻訳者サイドの考えが感じられて、翻訳という作業の難しさを改めて感じた。

結論:二階堂ふみがかわいい。

投稿者 むすてぃー : 02:21 | トラックバック

2014年01月23日

[映画]「ヒミズ」

園子温。日本。2012年。
公式サイト:http://himizu.gaga.ne.jp/(※音声注意)

一言でいえば、アンニュイな雰囲気の漂う青春映画である。

主人公の住田くんは、無気力とも諦観ともとれる気質を持っており、
一見するとリアリストである。

だが一方で、「普通」になりたいという、ある意味で途方もない夢を抱いており
(「平凡」で「普通」な生活を実現するというのは、実は結構大変ではないか)
その観点から言えば、理想に向かって生きようとしている側面もある。

ヒロインの茶沢さんは、他のクラスメイトとは違う雰囲気を持つ住田くんに
惹かれていて、何かにつけて住田くんに絡んでくる。
表情がころころ変わる子で、あざといけれども実にかわいい。

いろいろなトラブルが身の回りに起こり、
ふたりの前には、先行きの見えない「暗闇」が目の前に広がる。
人によっては絶望を感じるような類の「暗闇」である。
それでも、ふたりはどうにか前へと進もうとする。
たぶん、希望を失っていないから。

映画の最初と最後で、「主人公(たち)が走る」というモチーフが採用されている。
この「走る」というのは、もしかしたら、
前向きに生きようとする気持ちの表れであるのかもしれない。
そう解釈すると、住田くんは、徹頭徹尾、前に進むこと自体は諦めていない。

「普通」を目指していたことも彼なりの「前向き」であったし、
普通になれないことを悟って、「おまけ」の人生を生きようと決心したことも
彼なりの「前向き」の表れだと考えることができる。

今の社会は、変化が著しく、先行きを想像することが難しい。
つまり、将来の自分がどのようなものになっているのかを
はっきりと具体的に想像しにくい社会であるともいえる。

この作品は、そんな社会でもどうにか暮らしている人々の
内面の繊細な部分を、よく描いていると思う。

ただ、人間の内面の描写がよいだけに、
わざわざ2011年の大地震と結び付ける必要はなかったんじゃないかと思えてしまう。
この結び付けが、自分にとっては、ちょっと蛇足的な感じに思えた。

投稿者 むすてぃー : 04:04 | トラックバック

[映画]「鉄くず拾いの物語」

ダニス・タノヴィッチ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス、スロベニア合作。2013年。
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/ (※音声注意)

ボスニア・ヘルツェゴビナのある村で暮らしていて、
拾った鉄くずを売ることで収入を得ているロマの一家を中心に描く。

あるとき、妻の体が危険な状態になってしまい、病院に駆けつけるも、
保険証を持っていないために手術費用が高額となり、手術を受けられない。
夫は資金を得るために必死に仕事に取り組み、公共サービスにも助けを求めるが、
なかなかうまくいかない。

これは、こういう待遇になるのはロマだから、という理由付けではなく、
社会的弱者であれば誰にでも起こりうる。

この映画は、一家の生活を淡々と描いているぶん、
社会的弱者が弱者たるゆえんは制度の問題であるというのを思い知らされる。

最終的にはハッピーエンドとなるので、後味の悪さは残らない。

ボスニア・ヘルツェゴビナという国は、
多くの日本人にとってはなじみのない国かもしれないけれども、
遠くの国の人であっても、どこかで必ず繋がっているので、
「完全に無縁な国」であるとは言い難いだろう。

とはいえ、ここで描かれている問題を、
「多くの日本人」が、身近な問題として捉えることは難しいかもしれない。

だが、自分の知らない他者についての具体的な状況を知ることで、
他者に対する想像力を養うことはできるし、
そのような想像力は、今後ますます大事になるのではないかと思う。

投稿者 むすてぃー : 03:14 | トラックバック

2013年12月19日

[映画]「ゼロ・グラビティ」

アルフォンソ・キュアロン。アメリカ。2013年。
サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーが主演の宇宙サスペンス。
公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/gravity/(※音声注意)

全体的には面白い。
構成がよく練られていてまったく飽きなかった。
高速のスペースマウンテンに3回くらい乗ったようなスリルを味わえる。
思わず手足を踏ん張りながら見てた。

ジョージ・クルーニーが演じるマット・コワルスキーの言動がかっこいい。
サンドラ・ブロックが演じる女性主人公ライアン・ストーンも知的で魅力がある。

だが、マットがあまりにも「かっこよすぎる」ために、
ライアンは「かっこいいベテラン男性」の助けを得てようやく何とかなった、
みたいな描かれ方になっていたあたりには、ちょっと「うーん」となった。
こういう役割配置だと、せっかくのライアンの魅力が減じられてしまう気がする。

投稿者 むすてぃー : 23:45 | トラックバック

2013年12月12日

[映画]「47RONIN」

カール・リンシュ。アメリカ。2013年。
公式サイト:http://47ronin.jp/(※音声注意。動画あり)

忠臣蔵を「大胆に」解釈し、オリジナルキャラを主役に据えた作品。
あくまでファンタジー作品として見るといい。

登場人物の多くは日本人だが、その配役に日本人や日系人を置いたのは立派。

アメリカ産のこの手の映画は、
「日本人役に、日本以外の東アジア出自の俳優を起用する」
などといったことがしばしば起こる。
それは必ずしも悪いことではないのだけど、
俳優がよほど演技に気を遣わない限り、違和感がどうしても出てしまう。

もちろん、配役というものにはいろいろな制約があるだろうことは想像できる。
それでもその中で、
その違和感の元をきちんと断った、というのは評価されていいと思う。

話の中身は「B級映画的な面白さ」が詰まっている。
いろいろな場面にツッコミを入れながら見るのがいい。
わかりやすい勧善懲悪なので、気楽に観られるという点も特徴的である。
※これは決して映画をけなしているのではない。むしろ褒めている。いやマジで。

別の観点から言えば、この作品はあくまでもファンタジーなので、
リアリティを求めすぎるような見方をしようと試みたり、
「この映画には複雑な人間関係や世界観がある」と前提視して
それらを解きほぐそうと意気込んで観ようとすると、全く楽しめなくなる。

あるいは、
「あるアメリカ人から観た〈日本人〉とはどういうものか」など、
ある種のオリエンタリズムに着目しながら観ると、
いろいろな発見があるかもしれない。

投稿者 むすてぃー : 21:06 | トラックバック

2013年12月08日

[映画]「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」

宮本幸裕(総監督:新房昭之)。日本。2013年。
公式サイト:http://www.madoka-magica.com/

ジェットコースターのような展開に、終始、目が離せなかった。

画面内に描かれる情報は、単に多いだけではなく、
速いスピードで流れ去っていく。
「あれ?」と思った場面をじっくり確認しようと思ったときには、
もう次の場面へと移ってしまっている。

登場人物の立ち位置は目まぐるしく変化し、
物語の世界そのものも、やはり目まぐるしく変化する。

物語の展開の仕方が結構複雑なので、
人によっては本作を見終えた後に消化不良な感じを覚えるかもしれないが、
ある程度自分で作品世界を整理してみると、
いくぶん見通しがすっきりするのではないかと思う。

本作は、テレビシリーズを全話見た後か、
もしくは劇場版の前編・後編の両方を見た後に鑑賞する方が、より楽しめる。

もちろん、いきなりこの映画を鑑賞するのでも楽しめるとは思うけれども、
『魔法少女まどか☆マギカ』という作品の世界観や
背景についての予備知識を持っている方が、この作品の面白さは増幅される。

映画作品は、気楽な心地で鑑賞したいものと、
映像や音楽に集中し、気合いを入れて鑑賞したいものとの
2つに大別できると思うのだが、
私にとっては、この映画は後者に該当するものだった。

画面に現れるものすべてを、可能な限り目に焼き付けたい。
聞こえてく る音すべてを、可能な限り鼓膜に届けたい。
そして、視覚や聴覚を通じて知覚した情報に基づいて、あれやこれやと考えたい。
この作品はこんなふうに、私の「○○したい」と いう欲求を刺激してくる。

一瞬の出来事でつい見逃してしまった場面が気になって、もう一度鑑賞したくなる。
あるいは、あのときなぜこの子は あんな言葉を発し、こんな行動を起こしたのか、
その理由を考えるために、繰り返し鑑賞したくなる。そんな映画だった。

投稿者 むすてぃー : 11:04 | トラックバック

2013年11月23日

[映画]「ハンナ・アーレント」

マルガレーテ・フォン・トロッタ。ドイツ、ルクセンブルク、フランス合作。2012年。
公式サイト:http://www.cetera.co.jp/h_arendt/
(※音声注意、動画あり)

2012年の映画だけれども、この記事を書いている時点では
日本では神保町にある岩波ホールのみでの公開であり、
なおかつ現時点では公開中の映画なので、
一応ネタバレに配慮しつつ、例によってまずはあらすじと簡単な感想だけ書くよ。
::::::::::

ドイツ出身の政治哲学者であるハンナ・アーレントの思想と生活を、
ナチスドイツにおける全体主義の考察や、
彼女の提示した「悪」の概念に関する彼女自身の考察の過程を
中心に据えながら描いている。
アーレントの著作で言えば、『全体主義の起源』や
『イェルサレムのアイヒマン』(アドルフ・アイヒマンの裁判のレポート)が、
この映画の中心である。

ちなみに私は、恥ずかしながら、
彼女の著作は『人間の条件』しか読んだことがないのだけど、
それでも充分に楽しめた。

感情をもつ人間でもあり、同時に「考える人」でもあるアーレントの性格が、
個人的には、とても魅力的に描かれているように感じられたし、
そこに好感を持った。
堅苦しいだけの内容の映画にならないように工夫されていたのもよかった。
::::::::::

以下、内容のネタバレ。
日本ではまだ公開中の映画なので、一応、白文字で書きました。
読まれる場合は、文字色を反転してお読みください。

白文字部分をドラッグ選択したり、
もしくは、Winなら「ctrl」+「A」、Macなら「command」+「A」で、
全体を選択することで、文字色を反転させることができます。
::::::::::

圧巻なのは、最後の、アーレントによる教室での講義シーンだ。

雑誌『ニューヨーカー』に連載されたアイヒマン・レポートは、
ユダヤ人批判だと誤解されやすい内容であったために、
反響を呼び起こした(その多くはアーレントを非難・中傷する内容だったが)。
そうした状況の中で彼女が行った講義は、冷静ながらも熱のあるものだった。

そこでのアーレントの台詞で印象的だったのが、次の台詞である。

「ソクラテスやプラトン以来私たちは“思考”をこう考えます。自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がないほど大規模な悪事をね。」(『ハンナ・アーレント』パンフレット、p. 31)

アーレントは、人間であることを拒絶することで、
つまり思考をやめることで引き起こされる悪の性質を、
「悪の凡庸さ(the banality of evil)」と呼ぶ。
そして彼女は、アイヒマンはどこにでもいるような凡庸な存在であると言い、
そのような凡庸な人間が大きな悪事を働いたという事実から敷衍して、
誰もが悪事を行う可能性があるのだということを示唆する。

次の台詞も同じシーンで発せられたのだが、こちらも印象的であった。

「アイヒマンの擁護などしていません。私は彼の平凡さと残虐行為を結びつけて考えましたが、理解を試みるのと、許しは別です。この裁判について書く者には、理解する責任があるのです!」(同上)

「許し」という言葉は、後に『人間の条件』の中でも語られている。

彼女によると、許しの能力とは、
「不可逆性の苦境から抜けだす可能な救済」(『人間の条件』p. 370)を指す。
「不可逆性」とは、「人間が自分の行なっていることを知らず、
知ることもできなかったにもかかわらず、自分が行なってしまったことを
元に戻すことができないということ」(同上)である。

「許し」は「復讐」の対極にある概念であるが(同上、p. 376)、
一方で「罰」は、許しの代替物である(同上、p. 377)。

「許し」あるいは「罰」は、
ある好ましくない出来事を終わらせるきっかけとなる点で共通しており(同上)、
それが、罰が許しの代替物だと言われるゆえんなのだと私は解釈している。

相手への敬意がなければ、許しを与えることはできない。
そのことは、アーレントが後に自著で次のように書いていることからも察せられる。

「(……)尊敬というのはただ人格にのみ関心をもつものである以上、ある人物が行なった行為をその人のために許すのには、尊敬だけで十分である。」(『人間の条件』、p. 380)

アイヒマンの思考停止は巨大な悪事を生み出した。
それゆえに、映画の中のアーレントは彼の悪事を「許す」つもりはないと述べる。
もちろんそれは、彼のことを尊敬することなどできないからであろう。
しかし、哲学者としての彼女は、同じようなことが起こらないようにするために、
アイヒマンの思考停止と悪との関係を示すことが重要だと考えた。
だからこそ、彼女はアイヒマンの理解を試みたのだし、理解する責任を感じていた。
そのように、理解の試みを続けることは素晴らしい姿勢だと思う。

先の台詞が印象に残ったと私が言ったのは、
他者への理解の試みの重要性を、
その台詞だけからでも感じることができたからである。

思考し続けるアーレントは実にかっこいいのだが、
一方で、夫の前で見せるチャーミングなおばちゃんとしてのアーレントも
また魅力的
であった。
::::::::::

あと、ロッテちゃんがかわいかった。
::::::::::

とりあえず、関連書籍をステマしておきますね(ステルスする気ゼロ)。

・『全体主義の起源』

・『イェルサレムのアイヒマン』

・その他の関連書、概説書


::::::::::

* このブログ記事におけるアーレントの『人間の条件』からの引用は、ちくま学芸文庫から出ている日本語訳本(志水速雄 訳)からのものです。

投稿者 むすてぃー : 05:26 | トラックバック

[映画]「子宮に沈める」

緒方貴臣。日本。2013年。
公式サイト:http://sunkintothewomb.paranoidkitchen.com/
(※音声注意、埋め込み動画あり)

公開中の映画なので、まずはあらすじと簡単な感想だけ。

大阪で2010年に起きた2児放置死事件を基底として、
親による育児放棄を「孤独感」という観点から描いた作品。
「暗い」映画というよりは「重い」映画で、
見るのがだんだんとつらくなるけれども、それでも、見てよかったと思う。
::::::::::

以下、内容のネタバレ。
まだ公開中の映画なので、一応、白文字で書きました。
読まれる場合は、文字色を反転してお読みください。

白文字部分をドラッグ選択したり、
もしくは、Winなら「ctrl」+「A」、Macなら「command」+「A」で、
全体を選択することで、文字色を反転させることができます。
::::::::::

なぜ、見るのがだんだんつらくなったか。
それは、「上げて落とす」タイプの作品で、
最初のうちは登場人物の「幸福」そうな様子を描いているのに
だんだんと「不幸」の影が全体を支配するような作りになっていたからだ。

この作品では、
「育児放棄を引き起こすのは誰なのか」という問いは立てられていない。
提起されるのはむしろ、
「育児放棄を引き起こすのはなのか」という問いである。

この作品の場合、
自分の子供を放置して死なせるという結果を生んだのは
母親のせいであるけれども、全部が全部母親が悪いわけではない。
この事件の発生は、
子育てに一切関知しない(ように見えた)父親も遠因であり、
子育てをする親を支えるための公的サービスが不充分であったことも遠因である。
事件の原因は1人だけに、あるいは1つだけに帰されるのではない。
いろいろな要因が複合的に絡んだ結果、事件が引き起こされた。
少なくとも私はそう思う。

心理面、感情面で言えば、
(子供だけでなく)親の「孤独感」を和らげることができていれば、
この事件は起こらなかったかもしれない。
誰もが孤独に耐えられるほどの精神の強さを持っているとは限らないし、
誰もが他者に頼れる環境にあるとも限らない。
だからこそ、「孤独感」を無視してはいけないのだ。

映画では、次子である長男が先に餓死し、
長子である長女は、母親が帰宅した際に
水を張った浴槽の中で溺死させられる(ように見える描写であった)。
母親だって本当は子供たちを幸せにしたかっただろうし、
自分も一緒に幸せになりたかったことだろう。
母親が行った行為は許されるものではないだろうし、
少なくとも子供に対する償いは必要であるとは思う。
けれども、だからといって、周りの人が過剰に母親を責めるのはダメである。
この手の事件が今後起こらないでほしいと本当に望むのであれば、
「孤独感」を緩和できるシステムとはどういうものか、
そのシステムを実際に運用するにはどうすればいいのか、といったことに
多くの人が関心を持ち、意識することがまず必要なのだと思う。

この映画はまさに、
育児放棄と孤独感との関係について多くの人に関心を持たせる」ために、
この手の事件は特殊な環境でのみ引き起こされるのではなく、
どんな人でも、ふとしたきっかけで
こういう事件を引き起こしてしまう可能性があるのだということを、
映画を見た人に考えてもらえるように作られている。

この映画を見た後は、正直なところ、しばらく明るい気持ちにはなれないし、
それゆえに、デートで見るような映画ではないかもしれない。
それでも私は、この映画を見てよかったと思う。

::::::::::

この映画に興味のある方は、以下のリンク先の記事もぜひ読んでみてください。
ただ、結構ネタバレがあるので、その点はご留意くださいませ。
母親を子宮に沈める社会――大阪二児遺棄事件をもう一度考えるために

投稿者 むすてぃー : 03:30 | トラックバック

2013年10月30日

[映画]「陽だまりの彼女」

三木孝浩。日本。2013年。
公式サイト:http://www.hidamari-movie.com/

公開中の映画なので、まずはネタバレにならない範囲での感想。

・全体的には、想像していたよりも面白かった。
・上野樹里さんがかわいい。

以下はネタバレ。
大部分は白文字で書いたので、
ネタバレ部分を読む場合は反転してお読みください。
::::::::::

物語の作り方としては、伏線の張り方や、ミスリードの方法がよかった。

ここでいう「ミスリード」というのは、
真緒が記憶喪失だと真緒の両親が語ったシーンのことである。
無理矢理にミスリードをねじこむのではなく、
物語に合う形で挿入していた点はよかった。

::::::::::

中学時代に転校してきた真緒が自己紹介の際に浩介の前に真っ先に駆け寄ったこと、
真緒が裸の状態で見つかったこと、
そして、「中学生の頃よりも以前の記憶がない」ということ……
「これらの理由は、真緒の『記憶障害』なるものに起因するのではなく、
真緒が人間に『なった』からなのだ」ということは、
映画を最後まで見ればわかるようになっている。

私が「真緒がネコである」ということを察したのは、
高層階から落ちる子供を助けるシーンを見たときだった。
そのように察することができたのは、伏線の張り方がよかったからだ。
うまく伏線を張っていたからこそ、唐突さは感じなかった。
「あざとい(だがそれがいい)」と思わせられる真緒の振るまいも、
ネコっぽいと言われればネコっぽい。

真緒を演じる上野樹里さんがあざとくてかわいい。だがそれがいい
::::::::::

タイトルにある「陽だまり」は、
「日常の小さな幸せ」のメタファーなのかなと思いながら見ていた。
そして、その「幸せ」は、
永続的なものではなく、儚いものとして描かれていたように見える。
私は「ネコ=きまぐれ」というイメージを持ってるけれども、
そのイメージに基づいて見れば、ネコと共にやってきた幸せも
ネコのようにきまぐれに去っていったのだと考えれば納得する。
まるで陽だまりの位置が時間の経過と共に移ろっていくように、
儚く去っていったなぁと思った。

::::::::::

江ノ島にある恋人の丘で、浩介が真緒に対して
「50年でも60年でも、一緒にこの景色を見られるよ」みたいなことを語るシーンは、
浩介が永続的な幸せを望んでいることをよく表しているシーンだったけれども、
この点が、この映画で描かれる「幸せ」の無常性、あるいは「幸せ」の儚さを、
対比的に際立たせていた。

::::::::::

以下、気になったところ:

 映画の中にいくつかあるキスシーンのうちで、浩介と真緒の最初のキスシーンだけが結構ぎこちなく感じたけど、この「ぎこちなさ」は狙ってそうしたのか。

 真緒がいなくなってから、浩介が携帯で真緒の両親に連絡をした際に「誰だお前」的な対応をされていたけど、携帯の中に真緒の両親がアドレス帳登録されていたままだったのはどうしてなのか。

 玉川鉄二さん演じる新藤春樹は、真緒に好意を寄せていて、真緒と親しくする浩介に対して嫉妬している素振りを見せていたけれども、真緒が浩介と結婚した途端に、(若干の未練がありそうな感じには見えたけれども)あっさり身を引いていたのにはちょっと違和感があった。「新藤の真緒への想いってその程度のものだったの?」と。新藤は、真緒が気になるあまりストーカーまがいのことまでしていた割に、浩介から真緒を略奪してやろうという素振りをほとんど見せない。こうして見てみると新藤は、よく言えば「引き際を心得ている」人物として捉えることもできるかもしれないけれども、悪く言えば「本命の女の子に対してヘタレ」なだけである。
 映画の中での描かれ方を見ると、新藤は完全に「単なる主人公の引き立て役」に終わってしまっている。新藤が真緒からさっさと身を引いている点や、新藤が浩介に対して真緒の様子についての報告までしている点から、そのように推測してしまうのだ。この描かれ方だと、新藤は、(ストーカーまがいのことまでしているけれども)実はそこまで真緒のことを想っていなかったんじゃないか……という印象を受けてしまう。少なくとも自分はそういう印象を覚えた。個人的には、もう少し新藤の心情描写を見たかった。
::::::::::

「最初で最後の恋(うそ)だった」というキャッチコピー:

映画を見終えて思ったのだけど、
真緒は、別にうそをついてるわけではないんじゃないかな。
うそをついていたというよりは、秘密にしていたといった方が合っているように思う。
キャッチコピーによってミスリードを誘おうとしているのかもしれないけど、
どうなのでしょう。

映画のいちばん最後で浩介は、
真緒が新たに転生したと思われる女性と出会い、
そのシーンでこの映画は締めくくられる。
(彼女がつけているネックレスには結婚指輪が通されていた)

前の真緒が人間でいられた時間は、
浩介や真緒が中1〜25歳になるまでの12年ほどということになる。
仮に浩介が、その女性とまた結ばれたとしても、
懇ろな人間関係を保ったままずっと一緒にいることは叶わないかもしれない。
真緒が新たに転生したと思われる女性と結ばれても、
彼女はまた10年くらいでいなくなってしまうかもしれない。

三島由紀夫『豊饒の海』の内容を想起しながら、映画の感想を書く:

三島由紀夫の最後の長編小説『豊饒の海』では、
本多繁邦という、物語全体のキーパーソンとなる人物が、
第1巻「春の雪」の主人公・松枝清顕が転生する人物との出会いと別れを
物語の中で繰り返している。

もしかしたら、浩介もこの本多と同じ運命をたどることになるのではないだろうか。

『豊饒の海』最終巻の本多は、年老いて死期が近づいた頃に、
清顕とかつて懇ろな関係にあった門跡の聡子を訪ねて
清顕を覚えているかと訊くのだが、聡子からは知らないと言われてしまう。
『豊饒の海』にはそんなシーンがあるため、
最後の本多はかなり虚無感が漂う感じであった。

「転生を繰り返す人と繰り返し出会う」というのは、
一見とてもロマンティックではあるけれども、
「転生を繰り返す人」というのは、いつかいなくなってしまうものである。
そうなると、同じ人物とずっと結ばれ続けることができないわけで、
その意味で、「転生」をテーマとした物語というのは、登場人物の行く末を思うと、
同じ人物とずっと一緒にいられないという運命の残酷さから
逃れることができないんだなぁと思うのであった。
そう考えると、何だかちょっと、やりきれない気持ちになる。

この映画から「切なさ」が感じ取れるのであれば、
もしかしたらその「切なさ」というのは、
前述の「残酷さ」によって構成されているものなのかもしれない。

::::::::::

結論:上野樹里さんがあざといくらいにかわいい。そこがいい。あとファンタジー。

投稿者 むすてぃー : 01:39 | トラックバック

2013年10月04日

[映画]「劇場版 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」

長井龍雪。日本。2013年。
公式サイト:http://www.anohana.jp/

2011年にテレビシリーズが放送された、通称「あの花」の劇場版。

テレビシリーズの総集編が核になっているため、
完全な続編というわけではないのだけれど、
めんまの心象や、超平和バスターズの思い出話などが挿入されていて、
テレビシリーズ以上にノスタルジックな感じを受ける作品になっている。

ある意味ではハッピーエンドだけれども、
個人的には、切ないハッピーエンドだと思った。

投稿者 むすてぃー : 19:31 | トラックバック

[映画]「マルタのやさしい刺繍」

ベティナ・オベルリ。スイス。2006年。

スイスの小さな村に住んでいる、夫を亡くしたおばあちゃんが、
自分がかつてやっていた刺繍のスキルを活かして
ランジェリーショップを開くことを決意する。
おばあちゃんは「新しいことに挑戦するの」と言う一方で、
周囲からはなかなか同意が得られず、四苦八苦するのだが……。

おばあちゃんの同年代の友人たちも、
最初のうちは「身の程をわきまえないと」なんて言うのだけれど、
いろいろなことがあって、そうした考えがだんだんと変わっていく。
むしろ、おばあちゃん世代よりも中年世代の方が保守的で、
おばあちゃんの言う「新しいこと」に難色を示している。

もちろん、「新しいこと」ならば何でも優れているわけではないし、
逆に「伝統」として信じられているものがすべて優れているとも限らない。

しかし、夢というのは、
少なくとも夢を持つ本人にとっては新しいことへの挑戦を意味するものだし、
さらに言えば、今の状態から変化・発展することを要請するものでもある。

だから、「過剰な」保守的態度によって、
誰かに対して「変化をさせない」ように仕向けるのは、
人の才覚の発展をそこで止めてしまうことにつながってしまう。

準備をしっかりして、よき理解者が周囲にいれば、
夢をかなえるための行動はいつ起こしてもいい、年齢は関係ないのだ、
……ということを教えてくれる映画だった。
(夢が実現するかどうかは別問題なのだけど)

逆に言えば、「夢の実現」の足かせになるのは、
準備不足のまま行動をしてしまうこととか、
自分の夢を妨害してくる人の存在とか、
年齢を理由にして行動することを最初から諦める、などといったことなのだろう。

それらをクリアしたおばあちゃんの行動力にはただ敬服する。

投稿者 むすてぃー : 19:04 | トラックバック

[映画]「ル・アーヴルの靴みがき」

アキ・カウリスマキ。フィンランド、フランス、ドイツ合作。2011年。
公式サイト(音声注意):http://www.lehavre-film.com/

フランス北部のノルマンディー地方にある
港湾都市ル・アーヴルで靴磨きをする男が、
アフリカのガボンからの不法移民の青年と出会い、
周りの人と力を合わせていろいろやっていく、という内容になっている。
(「いろいろ」という言葉でぼかしましたが、詳しくはぜひ映画を見てください)

とにかく主人公の行動力がすごい。
困っている人を放っておけない性分なのかもしれない。
博愛に基づく行動で、あそこまで動けるのは素晴らしい。
私も見習いたいくらいである。

これまでのカウリスマキの映画と同様に、
登場人物にはかっこいい人もかわいい人もいない。
また、全編を通じて哀愁漂う感じがあって、決して華やかな映像ではない。
けれども、映画の中身はとても温かい。

移民の問題やヒューマニズムを扱ってはいるのだけれど、
変に説教っぽくならず、淡々と物語が進んでいくところには好感を持つし、
登場人物に過剰に語らせないから妄想の余地が残されている。
その点も個人的には心地よかった。

最後のシーンは、個人的にはやや物足りなかった。
ああいうふうになるのを「奇蹟」の一言で片付けてしまっていいのだろうか……。

投稿者 むすてぃー : 18:52 | トラックバック

2008年08月11日

[映画]「殺人狂時代」

チャールズ・チャップリン。アメリカ。1947年。

お金のために殺人を続ける男、アンリ・ヴェルドゥの生活ぶりと、
彼が逮捕され、死刑の絞首台へと行くまでの顛末を描く。
製作・監督・脚本・作曲をチャップリンが手掛け、彼の多才が見事に発揮されている。
また、映画の中では、彼の完璧主義者ぶりを随所に見出すことができる。

チャップリンといえば喜劇作品だが、この映画は全編を通してシリアス。

悪運の強いアナベラのしぶとさは見所。
彼女の描き方は喜劇をずっとやってきたからこそできるのだろうなと思う。
シリアスな映画だけども、彼女の存在には喜劇的な要素が滲み出ている。

あと、ヴェルドゥが劇中最後部で言った台詞、

一人の殺害は犯罪者を生み、百万の殺害は英雄を生む。数が(殺人を)神聖化する

「私は、殺人者としてはアマチュアだ」という旨の台詞との相乗効果かもしれないが、
この言葉が非常に印象的だった。
(台詞の引用はウィキペディアの「殺人狂時代」項目より)

この映画が公開されてからもう61年が経過しているけれども、
上に挙げた台詞に感じられる重みは、今の世の中でも変わっていないような気がした。

投稿者 むすてぃー : 08:36 | トラックバック

[映画]「ゲド戦記」

宮崎吾朗。日本。2006年。
公式サイト: http://www.ghibli.jp/ged/
(注意・音が出ます)

ル゠グウィンの原作の映画化作品。
「つまらない」と話題だったが、見ずに評価はできないので見てみた。

……ごめん、評判通りだ。つまらない

2ちゃんでも散々な叩かれ方だったけど、

・シーンが冗長(とりわけ、テルーの歌うシーンは長すぎ)。
・キャラに自分(監督?)の思想を語らせてしまっている。
・加えて、演技が大根。
・1時間見ただけでも、3時間映画を見たくらいに疲れた。

このへんの愚痴をこぼしたくなる理由がよくわかった。

絵は綺麗。
でも、豪華なスタッフを使ってるのだし、もっとよく描けたんじゃないかと思う。

あと、テルー役を「手蔦葵(新人)」とクレジットするならば、
エンドロールの最後部は、

「監督 宮崎吾朗(新人)

とした方がいいんじゃないかね。
「(新人)」が付されたからといって評価は変わらないのだけど。

投稿者 むすてぃー : 08:24 | トラックバック

2008年04月11日

[映画]「EX MACHINA -エクスマキナ-」

荒牧伸志。日本。2007年。
公式サイト: http://www.exmachina.jp/

映画「APPLESEED」の続編。
実は前作見てない。

ストーリーにはそこまで感動しなかったというか、
ちょっと物足りなさを感じるというか、そんな感じ。
前作を見てないせい、あるいは私の理解不足のせいかも知れないけど。

キャラの描き方(タッチ)、銃を撃ち終えた後に空薬莢が床に落ちる描写、
スピード感、カメラワークのよさはかなり印象に残っている。
素敵だった。

けれども、いちばん惚れたのは音楽。

元YMOの細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一の3人による
新しいユニット・HASYMOを筆頭として、
テイ・トウワ(TOWA TEI)、CORNELIUS、m-floなど
エレクトロニックな音楽や、
私の興味をそそる音楽を書くような人たちが一堂に会している。

なにせ、

「音楽監修 細野晴臣」

と印刷された文字列を見ただけで
DVDを持ってカウンターに並んでしまったのだ。
細野氏が好きというかYMOが好き。

音楽は案の定、洗練されていてすごく豪華。
かっちょいい。

投稿者 むすてぃー : 05:31 | トラックバック

2008年01月18日

[映画]「大日本人」

松本人志。日本。2007年。
公式サイト: http://www.dainipponjin.com/

アーティスティックな感じの映画なのかと思いきや、
「ごっつええ感じ」の延長って感じだった(特にラスト)。
ラストの演出はゆるゆるで、個人的には嫌いではないけれども、
人によっては「何これ」と感じるかもしれない。

キャストがさりげなく豪華。
松本人志の役柄はどことなくペーソスを感じさせる。

投稿者 むすてぃー : 02:35 | トラックバック

2007年05月11日

[映画]「プラダを着た悪魔」

デヴィット・フランケル。アメリカ。2006年。
公式サイト: http://movies.foxjapan.com/devilwearsprada/

テレビドラマ「セックス・アンド・ザ・シティ」の監督による、現代女性を描いた話。
ファッション音痴でも前向きで頑張り屋なアンドレアにしろ、
ファッション界のカリスマとして君臨する冷徹なミランダにしろ、
強く生きる女性の懸命さが魅力的に描かれているのには好感が持てる。

投稿者 むすてぃー : 04:22 | トラックバック

[映画]「スパイダーマン2」

サム・ライミ。アメリカ。2004年。
コロンビア大学学生とスパイダーマン、
二足のわらじを履く(?)ピーターを主人公とした映画の二作目。

個人的には、正直言って微妙。CGはよくできてるんだけど。

投稿者 むすてぃー : 04:17 | トラックバック

[映画]「マリー・アントワネット」

ソフィア・コッポラ。アメリカ。2006年。
公式サイト: http://www.ma-movie.jp/

マリー・アントワネットのいいところ悪いところを強調するのではなく、
一人の女性として心情の変わっていく様子を描いている。
残酷な描写や性描写はほとんどない。
身に纏うドレスや靴などのカラフルさ、豪華さが前面に出てくる。

フランス革命あたりの知識があると時代背景がわかりやすいと思うが、
別に知らなくても充分楽しめる。
ほぼ全体的にフェミニンな感じの雰囲気で、
特に、ヨーロッパの風景に憧れるような女性は見ててかなり楽しめると思う。

投稿者 むすてぃー : 04:03 | トラックバック

[映画]「サージェント・ペッパー」

サンドラ・ネットルベック。ドイツ。2004年。
公式サイト: http://www.s-pepper.com/

いつも着ぐるみを着ているフェリックスと、
彼と会話のできる犬・ペッパーを中心に繰り広げられるハートフルな話。
ほのぼのしていて、それがいい。

フェリックスもペッパーも可愛くて好きなのだが、
個人的にはジモンのキャラに人間くささを感じて割と好感が持てる。
悪役だけど。

投稿者 むすてぃー : 03:53 | トラックバック

[映画]「コーリャ 愛のプラハ」

ヤン・スビエラーク。チェコ、イギリス、フランス合作。1996年。
社会主義体制が終わろうとしていた頃が舞台。

チェコ人のチェロ奏者が、
ロシア語しか話せない5歳の子供の面倒を見る羽目になるのだが、
その成長の過程というか、信頼関係を築いていく過程が素晴らしい。

投稿者 むすてぃー : 03:45 | トラックバック

[映画]「ミスター・ベースボール」

フレッド・スケピシ。アメリカ。1992年。

ヤンキースのスター選手だったジャックが中日ドラゴンズへトレードされ、
日本と米国の文化や習慣に戸惑いながらも成功していく過程を描いている。

ストーリー展開はベタベタ。もちろん最後はハッピーエンド。
典型的なアメリカB級映画だが、何も考えずに見られるし、これはこれで面白い。

ドラゴンズの監督役である高倉健が格好良すぎる。

投稿者 むすてぃー : 03:36 | トラックバック

2006年12月31日

[映画]「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」

押井守。日本。1995年。

舞台は近未来の日本を模したパラレルワールド。

これって10年以上前に作られた作品なんだよなぁ。
絵の描き込みや音楽などの質の高さはいうまでもないけど、
「手法」に対する意欲がすごいと思った。
民謡をフィーチャーした楽曲も好き。

あと、やっぱり少佐はえろい。

投稿者 むすてぃー : 02:39 | トラックバック

2006年09月27日

[映画]「かもめ食堂」

荻上直子。日本。2006年。
公式サイト: http://www.kamome-movie.com/

日本映画だがロケは全てフィンランドで行ったとのこと。
公開前からこの映画のことは知ってたけど、見たのはDVDが出てから。

ストーリーはほとんどないが、すごくのんびりした映画。
のんびりした中にユーモアが隠れていたりするので、肩の力を抜いて見られる。
主役級の女優3人の演技が良い感じ。
カウリスマキ映画でおなじみのM. ペルトラがさり気なく出演してたりする。

「バルト海の乙女」の別名を持つヘルシンキの街並みも堪能できるので、
興味のある方は是非。

投稿者 むすてぃー : 12:46 | トラックバック

2006年08月05日

[映画]「リリィ・シュシュのすべて」

岩井俊二。日本。2001年。
公式サイトはこちら(※音が出ますのでご注意を)。
架空の歌手、リリィ・シュシュの音楽に惹かれた二人を軸にストーリーが展開。

コンピュータの世界での繋がりと、現実世界での繋がり。
窃盗、いじめ、援助交際など、中学生のダークな部分が描かれている。
しかし、映像は非常に美しい。

ダークな部分はハラハラしながら見てた。
別に自分が悪いことしている訳でもないのに、何故だかハラハラした。

途中、見ていて泣きそうになった。
これは、やばい。

投稿者 むすてぃー : 19:06 | トラックバック

2006年07月15日

[映画]「黒猫・白猫」

エミール・クストリッツァ。フランス、ユーゴスラヴィア合作。1998年。

ユーゴスラヴィアって少し前まで「セルビア・モンテネグロ」だったけど
こないだモンテネグロが独立したから、旧ユーゴ構成国は完全に解体したね。

映画は、ドタバタ恋愛コメディってな感じですかね。
セルビア語・ロマニ語の二言語使用で、
ロマ(ジプシー)の人たちがたくさん出てる。

出演している俳優達の顔は別に綺麗でもないし、かっこよくもない。
そもそも、まともそうな人物があまりいない。みんな、どこか変。
だけど、顔はすごく生き生きしていて、人生をうまく楽しんでいるような感じで、
そちらの方が、上っ面だけ綺麗なのよりもよほど美しいよね。

投稿者 むすてぃー : 20:47 | トラックバック

2006年05月31日

[映画]「カウボーイ・ビバップ 天国の扉」

渡辺信一郎。日本。2001年。
見たくなったから借りてきた。

アクションシーンのクオリティが素晴らしいのは流石です。
音楽もいい。すごくいい。
スパイク格好良すぎ。
でも自分はエドが好き。

投稿者 むすてぃー : 01:26 | トラックバック

2006年04月05日

[映画]「ククーシュカ」

アレクサンドル・ロゴシュキン。ロシア。2002年。
モスクワ国際映画祭で最優秀監督賞など5部門を受賞をしたロシア映画。
URL: http://www.kukushka.jp/

第二次世界大戦の時代、
ロシアとフィンランドは「冬戦争」と呼ばれる戦争をしていた頃の話で、
ラップランドがこの映画の舞台となっている。
ラップランドとは、スカンディナヴィア半島、フィンランド北部、
そしてロシアのコラ半島までのあたりをまたがる地域のことである。

第二次世界大戦では、ロシアとドイツが敵対していたのだが、
フィンランドは伝統的に良好な関係にあったドイツ側についていた。
(余談だが、それゆえにフィンランドは日本やドイツなどと同様に敗戦国扱いされる。)

平和主義者のフィンランド軍兵士・ヴェイッコ、
秘密警察に逮捕されたロシア軍大尉・イワン、
そして、ラップランドに住むサーミ人女性・アンニが
ひょんなことから出会い、一時生活を共にするのだが、
彼らはそれぞれ自分自身の言葉しか、
つまり、それぞれがフィンランド語、ロシア語、サーミ語しか理解できない。

そんな「相互不理解」状態の中にあるユーモラスな雰囲気が楽しい。
そして、言葉の上では「相互不理解」でも、最後は色々あって
言葉で伝えられるところを越えたところにつながりを感じ合えるような関係になる。
その過程が丁寧に書かれていて良い。

投稿者 むすてぃー : 00:55 | トラックバック

2006年03月10日

[映画]「キャラバン」

エリック・ヴァリ。フランス、ネパール、イギリス、スイス合作。1999年。

ヒマラヤの大自然と人間との共生を描いた映画。
映像が美しい。若者と年寄りとの対立も人間味があっていい。

それぞれのリーダーはお互いに頑固だけど、
それに見合う強い精神力・意志力を持っていて、
互いの良いところをちゃんと見ている。
いいなぁ。こういう人間って凄いと思う。本当に。

クライマックスで泣いた。
いずれああなってしまうのが定めとはいえ、なんか切なくなってくる。

あと、お経がベース音になっているテーマ曲も良い。

投稿者 むすてぃー : 05:08 | トラックバック

2006年03月07日

[映画]「下妻物語」

中島哲也。日本。2004年。
公式サイト:http://www.shimotsuma-movie.jp/

説明不要かとは思いますが、嶽本野ばら原作の映画です。

公開当初はそんなに気にしてなかったけど、
DVDが発売されたあたりからなんか急に気になってしまって、
友人からヴィデオを借りて鑑賞。……ちょ、これ、結構面白いやんか。

ぶっ飛んだ設定、ぶっ飛んだキャラクター。
よくもまぁ、ここまで綺麗にまとめたなぁという感じ。
構成方法も面白いし、ちょっとひねったコメディっぷりも良い。

竜ヶ崎桃子(深田恭子)と白百合イチゴ(土屋アンナ)はハマってますね。
脇を固めてるキャストも結構豪華。樹木希林さんとか、すごい。
音楽担当が菅野よう子だったのを前知識として知らなかったのでちょっと驚いた。

Tommy heavenly6がテーマソングを歌い、
サディスティックミカバンドや尾崎豊の曲がさりげなく使われていたり。
音楽の方にも結構注目がいっちゃいました。

投稿者 むすてぃー : 07:30 | トラックバック

2006年01月20日

[映画]「セ・ラ・ヴィ」

ディアーヌ・キュリス。フランス。1990年。

13歳の少女フレデリックを主人公に、一夏の経験を描く。
初めてのキス、初めての煙草、初めての……。

いやーもう、これが青春ってものなんですな。
くっそう、甘酸っぱいぜ。

あとフレデリックの妹ソフィーが可愛い。
こんなこと書いたらペド扱いされそうだが、決して惚れてはいない。
流石にこんな齢の少女に恋心は抱かないよ。
でも可愛い。

見ていて、フランスって良くも悪くもラテンだなと思った。
バカンスを取ったり、情熱的な愛であったり、……。
フランス語はラテン語系の言語だしねぇ。
スペイン語やイタリア語もラテン語系だね。

投稿者 むすてぃー : 02:40 | トラックバック

2006年01月04日

[映画]「ザ・カップ 夢のアンテナ」

ケンツェ・ノルブ。ブータン、オーストラリア合作。2001年。

サッカー大好きな修行僧が、ワールドカップの決勝を見るために
かき集めたお金と、それでも足りない分を新入りの僧・ニマの時計を担保にして
テレビとアンテナを借りて、僧院に取り付けるのだが…。

プロの俳優を登用せず、出演している僧のほとんどは実際の僧侶たちだという。
それまで神秘のヴェールに包まれていたブータンの姿を垣間見ることができる。
とてもナチュラルな感じの映画。

ブータンとサッカーという結びつきもなかなか素敵だが、
この話、なんと実話らしいのでそれにちょっとびっくり。

投稿者 むすてぃー : 03:27 | トラックバック

2005年12月28日

[映画]「歌え! フィッシャーマン」

クヌート・エーリク・イェンセン。ノルウェー。2002年。
ノルウェー北部の小さな漁業の町・ベルレヴォーグの合唱団のお話。
じじい達が歌い、女を語り、また歌い、
アメリカとソ連の激論を交わしたと思ったら、また歌う。

この合唱団の最年長者はなんと96歳!
吹雪が吹こうが、荒波が押し寄せようがとにかく歌う。
逞しく、生きることを本当に楽しんでいる。
そんなじじい達がかっこよすぎる!
自分ももし長生きをしてしまったならば、こんな風なじじいになりたいと思った。

ノルウェーの形相もちらほら知ることができるので、
もし「フィヨルド」「ヴァイキング」「白夜/極夜」「グリーグ」
…なんていう言葉に惹かれるところがあれば、ぜひどうぞ。
::::::::::

あとブータンの映画も借りてきた。見られればいいけど。

投稿者 むすてぃー : 02:32 | トラックバック

2005年10月16日

[映画]「チャドルと生きる」

ジャファル・パナヒ。イラン。2000年。
これっすね。
何人かの女性を主人公とし、場面場面で主人公をバトンタッチしていく
オムニバス形式のようなスタイルの映画。

イラン映画で、ヴェネチア映画祭で金獅子賞までとっているけれども、
女性問題を扱っているためか本国では上映されてない。

テーマが社会的なので重たく感じられる映画かも。
イランではまだ女性にとって住みにくいのだろうか。
現地に住む、その生活に慣れてしまった人はどう感じているのか。
色々考えさせられる映画だった。

ちなみに原題は「The Circle」。
映画を見れば、このタイトルをつけたのもうなずける。

投稿者 むすてぃー : 02:55 | トラックバック

2005年10月12日

[映画]「青いパパイヤの香り」

トラン・アン・ユン。フランス、ベトナム合作。1993年。
どうもカンヌで賞取った映画らしいけど、そのへんのことはよく知らない。

使用人として雇われた女の子を通じて、
人間模様とか、女の子自身の淡い恋心を描いたりしてるお話。
映像の色遣いがとても綺麗。月明かりに映し出される幻想的な様子とか。

「伏線だらけなのに全然繋がらない」ってのがあるので、
アメリカの映画なんかに見慣れてると戸惑うかも。
::::::::::

ミニシアター映画が好きです。

久し振りに映画を見た気がするけど、
実のところ呑気に映画なんか見ている場合じゃない。

それなのに、なんで私は
この映画と一緒にイランの映画まで借りてしまったんだろう。

投稿者 むすてぃー : 03:05 | トラックバック

2005年06月29日

[映画]映画に縁のある月だった

今月見た映画。

機動戦士Zガンダム 星を継ぐ者 (日本)
ヘイフラワーとキルトシュー (フィンランド)
・リトルアドベンチャー ロリーの大冒険 (フィンランド)
・雪の女王 (スウェーデン、フィンランド)
・スワロウテイル (日本)
テルミン (アメリカ)

借りてるヴィデオがあと一本あるので、それも見る予定。
言語は中国語だけど制作はフランス。そんな映画を見る予定。
::::::::::

どこからともなく、天の声が聞こえる。

「今月、映画ばっかり見てるけど実は暇なんでしょ?」

暇じゃない。
でも逆に忙しい方が、色々とやりたいことがはかどる気がする。
::::::::::

フィンランドの教育政策に関する記事をスクラップしようと思って、
新聞記事を切り抜いて、本と本の間に挟んだままずっと放置しっぱなしだ。
クリアファイルが欲しいな。

投稿者 むすてぃー : 02:34 | トラックバック

[映画]「テルミン」

スティーヴン・M・マーティン。アメリカ。1993年。
公式サイト:「http://theremin.asmik-ace.co.jp/

世界初の電子楽器テルミンと、その開発者である
レフ・セルゲイヴィッチ・テルミン博士の波瀾万丈な人生を追ったドキュメンタリー。
楽器自体には全く手を触れずに演奏されるテルミンは、まるで魔法のよう。

多分、テルミンは
この世界に存在する楽器の中でも一番難しい部類に入ると思う。
ただ、電子楽器ながら人間の声のような温かい音が出る不思議な楽器でもある。
これを見れば、きっとテルミンの魅力に気付くと思う。

投稿者 むすてぃー : 02:24 | トラックバック

2005年06月28日

[映画]「スワロウテイル」

岩井俊二。日本。1996年。
円都(イェンタウン)を舞台に、少女の成長、娼婦グリコの音楽活動、
貨幣偽造によるサクセスストーリーが複雑に絡み合って物語が展開。

邦画ながら日本語はあまりなく、
会話は日本語混じりの中国語、あるいは英語ばかり。
それが円都の無国籍な雰囲気をうまく出している。

カネ、暴力、セックス。そして人間の逞しさと弱さ。
そのへんがみんな凝縮された感じ。
そういうのを内包しつつも、岩井氏の映画は映像が美しい。
(うがった見方をすれば、何でも視覚的に「美化」してしまうとも捉えられるかも。)
バンドのライヴシーンはPV出身の彼ならでは。

この映画がR指定(現在のR-15指定)になったのって
暴力とか、グロテスクな場面とか、性描写のせいかと思ってたら、どうも
小学生が貨幣偽造を率先してやるシーンがあるから」(←ややネタバレ)
…っていうのが倫理的によろしくなかったせいらしいです。

しかしこの映画ももう10年近く前の映画なんだなぁ。
時間が経つのは早いもんです。
当時、自分はR指定に引っかかって映画を見ることはできなかったけど、
YEN TOWN BANDは結構好きでした。なんか懐かしいな…。

投稿者 むすてぃー : 00:20 | トラックバック

2005年04月27日

[映画]「ビョークの『ネズの木』」

ニーツチュカ・キーン。アイスランド。1986年。
原題は「THE JUNIPER TREE」。
主演はアイスランドの歌姫ビョーク(Björk Guðmundsdóttir)。

彼女の出演作は2000年公開の「Dancer in the Dark」が有名だが、
今後映画には出ないと公言している彼女が
今から約20年前に出演していたのが、この作品。

映画の中身は、グリム童話をモチーフにしていて
詩の世界を映像化したような、幻想的な雰囲気のある作品。
ただ、「本当は恐ろしいグリム童話」の世界をイメージ化させたような感じなので
全編を通してとにかく暗い。モノクロ映画だからなお暗く感じる。

出演当時20歳のビョークが、妖精みたいですごく可愛らしい。本当に可愛らしい。
まぁ、今のビョークも年齢不詳な感じで妖精っぽい雰囲気を醸し出してるけど。

個人的には「Dancer in the Dark」の方が好きかなぁ。
あれもアンハッピーエンドなので暗いっちゃあ暗い映画なんだけど。

投稿者 むすてぃー : 02:22 | トラックバック

2005年03月20日

[映画]「ラストサムライ」

エドワード・ズウィック。アメリカ。2003年。
19世紀末の日本に西洋式銃の教官として南北戦争の英雄が招かれる。
彼は侍との戦いで負傷し、村に捕らえられるが、
そこでの生活を通じ、村の人々の強い精神力に突き動かされていく…。

久し振りにハリウッド映画を見た。
映画を見ること自体も1月に見て以来だから久し振りだけど。

リアリティを追求しているとのことだが、やはり娯楽映画のメッカ、ハリウッド。
エンターテインメント性の強さを感じた。まあ、それでこそハリウッドなんだけど。
個人的には、純粋に面白いと思いましたよ。合戦シーン格好良かったし。
しかし、甲冑フル装備(本来40kgはありそう)で走り回るとかすごいよなぁ。

渡辺謙氏演じる勝元が英語ペラペラ。よくよく考えるとものすごい侍だ…。
あと最後の方になると明治天皇が英語ペラペラでいらっしゃる。恐るべし。

そういえば、キスシーンがちらりとあったが、
日本では江戸時代、接吻は性技の一種だったと聞いたことがあるのだが…
明治時代の日本はもうそういうものじゃなくなってたのか?

投稿者 むすてぃー : 22:50 | トラックバック

2005年01月22日

[映画]「マッチ工場の少女」

アキ・カウリスマキ。フィンランド。1990年。
鬼才カウリスマキが描く薄幸な少女のお話。
もれなくどよーんとした気分になるくらい暗い映画ですが、
逆に、こういうのを見てると「自分はなんて幸せなんだ」と思える。

彼の映画は台詞が非常に少ない分、
効果音やBGMが効果的に生きていまして。
彼の映画のBGMはなかなか佳曲揃いだったりします。
「過去のない男」では日本のクレイジーケンバンドの曲が使われていたり。

独特な雰囲気があるので好き嫌いがあるかもしれないけれども、
何となくここ最近憂鬱だなーと思う方は試しに見てみるのもよいかもしれない。
全編を通じて暗い映画だからこそ、
その「暗さ」のお陰で救われる気持ちになることだってありえるのだから。

投稿者 むすてぃー : 20:00 | トラックバック