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2014年01月29日

[映画]「少女は自転車にのって」

ハイファ・アル=マンスール。サウジアラビア、ドイツ合作。2012年。
公式サイト:http://shoujo-jitensha.com/(※音声注意)

保守的な傾向が強く、それよって女性の行動が制限されるサウジアラビアでは、
女性は自動車に乗れず、ひとりでの外出が大変な地域であるという。
そんな国で、10歳の少女ワジダが、
男の子の友達アブドゥラと自転車競争をするために奮闘する。

映画自体は、
サウジアラビアの基本情報を知らずに見ても楽しめるようになっている。
もちろん、サウジ社会やイスラームについてのある程度の知識を持った上ならば
この映画の中から、よりいろいろな発見ができるかもしれない。

要は、主人公が自転車を手に入れるまでのお話であり、
内容はとてもシンプルである。
だが、社会的な制限がある中で(映画の撮影にもさまざまな制限があったという)
こうした内容の映画を撮るというのは、かなり挑戦的なことなのだろうと思う。

自分の信念を貫き通そうとするワジダと
そんなワジダをなんだかんだで気にかけ続けるアブドゥラとのやり取りや、
保守的な学校とワジダとの関係の描写が面白い。

また、ワジダと、彼女の母との関係に注目しながら見るのもいい。
ワジダの言動に影響を受けて、
また、夫の言動に影響を受けて(と言うよりはショックを受けて)、
ワジダの母の考えが変化(成長?)する点が丁寧に描かれていると思う。

投稿者 むすてぃー : 23:16 | トラックバック

2014年01月26日

[映画]「ほとりの朔子」

深田晃司。日本。2014年。
公式サイト:http://sakukofilm.com/

8月下旬から9月頭までの、
高校生までの学生の夏休みの終わりに当たる期間に、
浪人生の朔子のまわりで起きた出来事を
淡々と、しかしみずみずしく描いている。

感想を一言でいえば、ほどよくのんびりしていて、個人的には好きな映画だった。

映画の中では、著しく大きな事件は起こらない。
その代わりに、小さな「事件」(単なる「出来事」かもしれない)は頻発する。

夏休みの終わりに叔母の家へ行くという経験は、
普段実家で生活しているのであれば、非日常的な経験だろう。
しかし、そこでは、(朔子に直接関わるような)取り立てて大きな事件は起きず
(起こる「事件」の大きさはむしろ、孝史に関わるものが大きい)
淡々と流れる「日常」のようなものが存在している。

二階堂ふみが演じる朔子がまぶしいくらいにかわいいのはもちろんだけど、
インドネシアを専門とする地域研究者で知的な雰囲気を備える海希江、
「可哀想な福島」という形で話をすることを周りから期待されて困惑する孝史、
主観と客観について語る西田先生、一見ダメ男なのにどこか憎めない兎吉、
さばさばした大学生の知佳、……などなど、他の登場人物も魅力的だった。

特に海希江は、
「日本人なのにどうして海外のことを研究しているの?」という
素朴な疑問に対して真摯に答えており、
その姿が個人的にとてもかっこいいなぁと思った。

主人公は朔子だけれども、彼女は、
朔子自身が問題の奥にまで入り込んでいってズバズバと解決していくような
物語の中心に立って活躍する人物としてではなく、
あくまでも「自分の周りの人物の関係を見つめる朔子」として描かれている。
感情は、台詞にははっきりと出ないこともあるが、表情の微細な変化に表れる。
また、彼女の健康的な肢体からは、
健康的であるがゆえにほのかなエロスが感じられる。
個人的にはそういった点が印象的であった。

あと、これは映画の内容とは関係ないことなのだけど、
映画の言語は日本語だったけれども、英語の字幕がついていた。
英語の字幕は結構意訳されていた。
日本語の文意をそのまま英語に置き換えても理解してもらえないのかも、という
翻訳者サイドの考えが感じられて、翻訳という作業の難しさを改めて感じた。

結論:二階堂ふみがかわいい。

投稿者 むすてぃー : 02:21 | トラックバック

2014年01月23日

[映画]「ヒミズ」

園子温。日本。2012年。
公式サイト:http://himizu.gaga.ne.jp/(※音声注意)

一言でいえば、アンニュイな雰囲気の漂う青春映画である。

主人公の住田くんは、無気力とも諦観ともとれる気質を持っており、
一見するとリアリストである。

だが一方で、「普通」になりたいという、ある意味で途方もない夢を抱いており
(「平凡」で「普通」な生活を実現するというのは、実は結構大変ではないか)
その観点から言えば、理想に向かって生きようとしている側面もある。

ヒロインの茶沢さんは、他のクラスメイトとは違う雰囲気を持つ住田くんに
惹かれていて、何かにつけて住田くんに絡んでくる。
表情がころころ変わる子で、あざといけれども実にかわいい。

いろいろなトラブルが身の回りに起こり、
ふたりの前には、先行きの見えない「暗闇」が目の前に広がる。
人によっては絶望を感じるような類の「暗闇」である。
それでも、ふたりはどうにか前へと進もうとする。
たぶん、希望を失っていないから。

映画の最初と最後で、「主人公(たち)が走る」というモチーフが採用されている。
この「走る」というのは、もしかしたら、
前向きに生きようとする気持ちの表れであるのかもしれない。
そう解釈すると、住田くんは、徹頭徹尾、前に進むこと自体は諦めていない。

「普通」を目指していたことも彼なりの「前向き」であったし、
普通になれないことを悟って、「おまけ」の人生を生きようと決心したことも
彼なりの「前向き」の表れだと考えることができる。

今の社会は、変化が著しく、先行きを想像することが難しい。
つまり、将来の自分がどのようなものになっているのかを
はっきりと具体的に想像しにくい社会であるともいえる。

この作品は、そんな社会でもどうにか暮らしている人々の
内面の繊細な部分を、よく描いていると思う。

ただ、人間の内面の描写がよいだけに、
わざわざ2011年の大地震と結び付ける必要はなかったんじゃないかと思えてしまう。
この結び付けが、自分にとっては、ちょっと蛇足的な感じに思えた。

投稿者 むすてぃー : 04:04 | トラックバック

[映画]「鉄くず拾いの物語」

ダニス・タノヴィッチ。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス、スロベニア合作。2013年。
公式サイト:http://www.bitters.co.jp/tetsukuzu/ (※音声注意)

ボスニア・ヘルツェゴビナのある村で暮らしていて、
拾った鉄くずを売ることで収入を得ているロマの一家を中心に描く。

あるとき、妻の体が危険な状態になってしまい、病院に駆けつけるも、
保険証を持っていないために手術費用が高額となり、手術を受けられない。
夫は資金を得るために必死に仕事に取り組み、公共サービスにも助けを求めるが、
なかなかうまくいかない。

これは、こういう待遇になるのはロマだから、という理由付けではなく、
社会的弱者であれば誰にでも起こりうる。

この映画は、一家の生活を淡々と描いているぶん、
社会的弱者が弱者たるゆえんは制度の問題であるというのを思い知らされる。

最終的にはハッピーエンドとなるので、後味の悪さは残らない。

ボスニア・ヘルツェゴビナという国は、
多くの日本人にとってはなじみのない国かもしれないけれども、
遠くの国の人であっても、どこかで必ず繋がっているので、
「完全に無縁な国」であるとは言い難いだろう。

とはいえ、ここで描かれている問題を、
「多くの日本人」が、身近な問題として捉えることは難しいかもしれない。

だが、自分の知らない他者についての具体的な状況を知ることで、
他者に対する想像力を養うことはできるし、
そのような想像力は、今後ますます大事になるのではないかと思う。

投稿者 むすてぃー : 03:14 | トラックバック

2014年01月03日

[雑事]2014年の幕開け

あけましておめでとうございます。
弱小サイトですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

投稿者 むすてぃー : 06:32 | トラックバック