Hydrangea Macrophylla
俺の「遠目見眼」が、黒い澱みを捉えてから十数分が経過した。
後ろを振り返れば、それとは対照を成す鮮やかな橙色の光が、
俺の通う学校のある小高い丘へとその身を沈めんとする最中にあり、俺と安綱の影は時間を追うごとに長くなっていく。
その影も、黒い澱みへと近付くにつれて薄い闇の中に溶け込んでいき、
次第に、通りに点々とある街灯のみが俺たちの影の存在を伝えるようになっていく。
――真神。
――この世ならざるもの。
ふと、安綱の言葉が頭の中をよぎった。
この世に在らざる者とすれば、奴等は一体何の目的で、本来の居場所でないはずのこの世界に現れたのか…。
まぁ、脳内でいくら説を考え出しても仕方がない。
とにかく、頼まれ引き受けた仕事は片付けなければ。疑問の答えは、過程の中でそのうち解決されるだろう。
そうこうと思案を巡らせながら歩みを進めていくと、
先程まで黒い澱みという曖昧なものとしてしか捉えきれなかったそれが、
次第に輪郭のはっきりとしたものとして視えるようになっていた。
操車場に現れたのと同じ、黒い狼の群れ。
しかし、数は昼間の三匹どころではない。視えるものだけでも七匹はいる。
ひょっとすると、まだこれ以上数がいるのかも知れない。
「随分数が多いな…。今度こそ手や腹を持っていかれるかもしれない。」
俺の額に、嫌な汗が湧いてくるのを感じた。
安綱が顔を前に向けたまま訊いた。
「不安なのか?」
「あんなに数がいるとは思わなかった」
「ふむ。…やはりあれが関係しているのかもしれん」
「あれ?」
俺は安綱に顔を向けた。しかし安綱は、依然こちらに目を向けず、前を見据えている。
「いずれ話す。今は彼奴らの処分が先だ」
陽はすっかり沈み、空には満月が浮かんでいる。
俺と安綱は、駅の近くにある裏通りに来ていた。
俺の住む町は比較的治安が良いのだが、この通りだけは学校からよく不良の溜まり場で危険だと言われている。
時折、千鳥足になった壮年期の男とすれ違ったり、
金髪で青い作業服を着た、まさに不良というレッテルを貼られていそうな兄ちゃん達が
コンビニの駐車場に座り込んで、時々大きな笑い声を上げながら談笑していたり。
また一方では、露出度の高い服を着た、虚ろな目をした女の人が煙草を吹かしながら睨むようにしてこちらを窺っている。
この世ならざる漆黒の狼も怖いが、ここにいる現実界の人間も、俺にとっては警戒の対象でしかない。
おそらく今の俺の顔は、相当引きつったものなのかもしれない。
俺は周囲に視線を泳がせることに気をとられていた。
警戒しながら歩いていると、背後から一声。
「おい、風一。」
ビクッとして瞬時に振り向くと、俺の三メートル程後ろに、街灯の光に照らされた安綱が立っていた。
安綱は表情を変えずに語を継いだ。
「何をそんなにビクビクしているのだ」
「いやだって、この通りは危ない奴が多いから…」
「女々しいものよ。たかだか小悪党の人間ごときに怯えるでない」
「そう言われても…」
「それより、この建物を見てみよ」
そう言って安綱が目を遣った先には、この通りの中では珍しく、明かりのない四階建てのビルがあった。
おそらくここ数年使わずにずっと放置されていたのであろう。
俺はビルの真ん前まで近付いてみた。
街灯や、周辺の建物から漏れる明かりから、それがコンクリート製のビルであることは窺える。
ビルの各所に見られる窓ガラスはほとんど割られており、もはや廃墟としての存在価値でしかなかった。
「おこと、上部に何か視えぬか?」
安綱のその言葉に、俺は上を見上げた。
…いた。漆黒のものが視えた。
闇が支配していたにも関わらず、俺ははっきりとそれを捉えることができた。
満月の照らす夜空よりも深い黒。
しかし、昼間のそれは灰色の瞳をもっていたのに対し、
ここに視えるのは、ルビーを埋め込んだかのような紅蓮に輝く瞳を持ったものであった。
ただ、瞳の色は違えど、その鋭い眼光は紛れもなく、昼間に出会った黒い狼そのものであった。
そいつは、ビルの三階の、本来窓があったであろう場所から顔を突き出して、こちらを睨んでいるように見ている。
「来るぞ風一、気を付けろ。」
安綱のその言葉と同時に、三階部分から俺を目掛けて飛び掛ってきた。
既の事にそれをかわし、さっきまで俺が立っていた場所に黒い狼が華麗に着地を決めた。
一匹の着地に続いて、二階部分の窓から二匹、一階入り口から四匹が姿を現した。
「やっぱり七匹いたか…多いな」
紅蓮の眼光が俺と安綱を鋭く睨む。俺は思わず後ずさりをした。
俺の右隣から、安綱の問いかける声が聞こえた。
「おこと、真神の中に何か視えぬか?」
「中…って、どういうことだ?」
「さっきの話だ。おことが実際に視ることができるかどうかは知らぬが、物は試しだ。
目を閉じ、腸