Hydrangea Macrophylla

リレー小説企画1

far away

#4 この世ならざるものの影

 俺の「遠目見眼」が、黒い澱みを捉えてから十数分が経過した。
後ろを振り返れば、それとは対照を成す鮮やかな橙色の光が、
俺の通う学校のある小高い丘へとその身を沈めんとする最中にあり、俺と安綱の影は時間を追うごとに長くなっていく。
その影も、黒い澱みへと近付くにつれて薄い闇の中に溶け込んでいき、
次第に、通りに点々とある街灯のみが俺たちの影の存在を伝えるようになっていく。

――真神。 ――この世ならざるもの。

ふと、安綱の言葉が頭の中をよぎった。
この世に在らざる者とすれば、奴等は一体何の目的で、本来の居場所でないはずのこの世界に現れたのか…。
 まぁ、脳内でいくら説を考え出しても仕方がない。
とにかく、頼まれ引き受けた仕事は片付けなければ。疑問の答えは、過程の中でそのうち解決されるだろう。
 そうこうと思案を巡らせながら歩みを進めていくと、
先程まで黒い澱みという曖昧なものとしてしか捉えきれなかったそれが、
次第に輪郭のはっきりとしたものとして視えるようになっていた。
 操車場に現れたのと同じ、黒い狼の群れ。
しかし、数は昼間の三匹どころではない。視えるものだけでも七匹はいる。
ひょっとすると、まだこれ以上数がいるのかも知れない。
「随分数が多いな…。今度こそ手や腹を持っていかれるかもしれない。」
俺の額に、嫌な汗が湧いてくるのを感じた。
安綱が顔を前に向けたまま訊いた。
「不安なのか?」
「あんなに数がいるとは思わなかった」
「ふむ。…やはりあれが関係しているのかもしれん」
「あれ?」
俺は安綱に顔を向けた。しかし安綱は、依然こちらに目を向けず、前を見据えている。
「いずれ話す。今は彼奴らの処分が先だ」

 陽はすっかり沈み、空には満月が浮かんでいる。
俺と安綱は、駅の近くにある裏通りに来ていた。
俺の住む町は比較的治安が良いのだが、この通りだけは学校からよく不良の溜まり場で危険だと言われている。
時折、千鳥足になった壮年期の男とすれ違ったり、
金髪で青い作業服を着た、まさに不良というレッテルを貼られていそうな兄ちゃん達が
コンビニの駐車場に座り込んで、時々大きな笑い声を上げながら談笑していたり。
また一方では、露出度の高い服を着た、虚ろな目をした女の人が煙草を吹かしながら睨むようにしてこちらを窺っている。

 この世ならざる漆黒の狼も怖いが、ここにいる現実界の人間も、俺にとっては警戒の対象でしかない。
おそらく今の俺の顔は、相当引きつったものなのかもしれない。
俺は周囲に視線を泳がせることに気をとられていた。
警戒しながら歩いていると、背後から一声。
「おい、風一。」
ビクッとして瞬時に振り向くと、俺の三メートル程後ろに、街灯の光に照らされた安綱が立っていた。
安綱は表情を変えずに語を継いだ。
「何をそんなにビクビクしているのだ」
「いやだって、この通りは危ない奴が多いから…」
「女々しいものよ。たかだか小悪党の人間ごときに怯えるでない」
「そう言われても…」
「それより、この建物を見てみよ」
そう言って安綱が目を遣った先には、この通りの中では珍しく、明かりのない四階建てのビルがあった。
おそらくここ数年使わずにずっと放置されていたのであろう。
 俺はビルの真ん前まで近付いてみた。
街灯や、周辺の建物から漏れる明かりから、それがコンクリート製のビルであることは窺える。
ビルの各所に見られる窓ガラスはほとんど割られており、もはや廃墟としての存在価値でしかなかった。
「おこと、上部に何か視えぬか?」
安綱のその言葉に、俺は上を見上げた。

 …いた。漆黒のものが視えた。

 闇が支配していたにも関わらず、俺ははっきりとそれを捉えることができた。
満月の照らす夜空よりも深い黒。
しかし、昼間のそれは灰色の瞳をもっていたのに対し、
ここに視えるのは、ルビーを埋め込んだかのような紅蓮に輝く瞳を持ったものであった。
ただ、瞳の色は違えど、その鋭い眼光は紛れもなく、昼間に出会った黒い狼そのものであった。
そいつは、ビルの三階の、本来窓があったであろう場所から顔を突き出して、こちらを睨んでいるように見ている。
「来るぞ風一、気を付けろ。」
安綱のその言葉と同時に、三階部分から俺を目掛けて飛び掛ってきた。
すんでの事にそれをかわし、さっきまで俺が立っていた場所に黒い狼が華麗に着地を決めた。
一匹の着地に続いて、二階部分の窓から二匹、一階入り口から四匹が姿を現した。
「やっぱり七匹いたか…多いな」
紅蓮の眼光が俺と安綱を鋭く睨む。俺は思わず後ずさりをした。
 俺の右隣から、安綱の問いかける声が聞こえた。
「おこと、真神の中に何か視えぬか?」
「中…って、どういうことだ?」
「さっきの話だ。おことが実際に視ることができるかどうかは知らぬが、物は試しだ。
 目を閉じ、はらわたを覗くつもりで彼奴らを視てみよ」
言われるがままに、俺は目を閉じた。

 一切の光が閉ざされたはずの視界の中に、
まもなく、目の前にいる黒い狼達の輪郭が、ぼやっと青白く縁取られて現れた。
目蓋まぶたの裏側に広がる闇、そして青白い線。
輪郭が映し出されてすぐ、それぞれの狼らに、
サファイアのような青い光を放つ石のようなものが視えた。
――おそらくこれが、さっき安綱の言っていた「敵の急所あるいは弱点」なのであろう。
しかしそのサファイアの視える箇所はそれぞれ異なっていて、
それぞれの狼に視えたものを逐一説明している時間はない。

 俺は目を開いた。
「安綱、一番手前にいる狼は眉間だ」
「そうか」
光る石が見えたということを端折ったが、安綱は俺の言わんとしていたことを察してくれたようだ。
安綱は、たもとから何か、御札のようなものを取り出した。
何やら縦長の和紙のようなものに文字が書かれている。
漢字のようだが、草書体、それも毛筆で書かれていたので、何と書いてあるかの解読はできなかった。
安綱はその御札を右手の人差し指と中指で挟み、その指を、御札を挟んだまま自分の額に当てた。
そして、大きく振りかぶり、目の前にいた一体の狼に向かって勢いよく御札を投げた。
御札は、さながらダーツのように的へと吸い付いていき、
先程サファイアの光が見えた眉間の辺りを貫いた。
それは、瞬時の出来事だった。
眉間を貫かれた狼は声なき声を上げ、黒い砂となって地面に零れ落ちた。
その砂の上には、先程視えたサファイアのような石。
「やった!」
「気を抜くな風一、まだ六匹残っておる」
一匹の戦友を失った敵陣営の眼光は、さらに深みを増した紅い瞳でこちらを鋭く睨んでくる。
彼奴らを倒す方法はわかった。だが…。
「六匹が一斉に襲い掛かってくれば、私もおこともやられてしまうだろうな。
 おことが急所を探り、私が御札を投げるまでの間にできる隙が大きすぎるのだ」
そう、この黒い狼らは、それぞれ体内の違った箇所に光る石の輝きがあった。
さらに、奴らが動き回ってしまうと、箇所の特定にも時間を要してしまう。
そしてこの数が相手だ。勝算は望めるものではない。
 黒い狼らは喉を鳴らした。こちらへ一斉に攻撃を仕掛けようとしている。
口元に隠された必殺の武器。これだけの集団から攻撃されれば、おそらく痛いでは済まされない。

 六匹のうちの一体が一歩、こちらに前足を運んだ。
 その時。
黒い狼らは天を仰ぎ、振り返って、廃屋となったビルの中へ戻っていった。
「…なんだ?」
「どうやら主人の呼ぶ声に反応したようだな」
「主人?」
俺は安綱の方を振り向いた。安綱は振り返らず、黒い狼らの消えていったビルを見つめながら答えた。
「犬笛だ。おことには聞こえないのか?」
犬笛の音なんて聞こえる訳がない。
あれは普通、人間の耳には聞き取れない周波数の音域を出す道具なのであって。
「風一、この建物の屋頂を見てみよ。」
「屋頂?」
俺は、安綱が顔を上げ、視線で指し示した先へと目を遣った。
満月の光をバックに、ビルの屋上の縁に立つ細長い影。
多分、人間の影なのであろうと思う。
 屋上に立つ人物からの声が聞こえる。
「先程は私の番犬が失礼をした。貴方達にお詫びを申し上げたい」
若い女性の声だ。
それほど大きな声ではないが、一語一語の発音がはっきりとしており、よく聞き取れた。
俺は屋上に立つ女性に対し、大声を上げ、訊いた。
「君は?」
「私は『未来視眼』を持つ者。名は…申し訳ないが今は名乗れない」
――未来視眼。昼間に安綱が言っていた能力の一つか。
 その未来視眼という言葉に反応してか、安綱が一歩前に出た。
「未来視眼、というと、もしや、おこと…」
「えぇ…おそらく、貴方が言わんとしていることは正しいと思う。
 だが今はそのことよりも、貴方達に伝えたいことがある。早急を要する件だ」
屋上の影は一間置き、語を続けた。
「すぐに学校へ向かって欲しい。貴方の弟…景君が危険だ。
 急がないと、彼の体に各地域から集まる魑魅ちみ魍魎もうりょうが宿ってしまう」

な、何だって…。
景が…。

……。

――ここから学校まで、走れば十分弱か。

気が付いたときには、俺は走り出していた。この地域が治安の悪い地域であったことを忘れて。
「やはりあの学舎が…。む、風一、早まるでない」
安綱の言葉は背中で受けとめていた。
俺を追いかけてくる足音が聞こえる。

今日起きた、一連の不可解な出来事に関しての真相はもうどうでも良くなっていた。
とにかく、急がねば。





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